※添付画像（サムネイル）の説明をご一読の上、ご覧ください。
※以前書いたこちら二作↓の流れも汲んでおりますが、今作のみでもお楽しみいただける仕様だと思います。
https://xfolio.jp/portfolio/isanarito/works/432582
https://towatsugai-fans.com/posts/5b804dfe-3a10-4cf0-8ffe-af8d38ab9e97
　あの日も、雪が降っていた。外を歩けば、木や建物がイルミネーションで眩しく光っていて。家族連れやカップルが、ケーキやプレゼントの箱を抱えて楽しげに笑い合っていたけど。世間が浮かれる行事にもうちは当然無縁で、あたしはなにも感じなかった。　夕飯の後片付けを済ませて、妹と学校の宿題をしていた時、玄関のドアが荒っぽく開いた。　帰ってくるなり、クソ親父はスーパーのレジ袋をテーブルに雑に置いた。　びくっと肩を跳ねさせた妹の隣で、あたしはクソ親父を睨んだ。「なんだよ、これ」「パチンコのついでに寄ったら、売れ残りで安くなってたんだよ。風呂は？」「沸いてる」「それ食ってさっさと寝ろ。俺は忙しいんだからな」　風呂場へ直行するヤツの背中が見えなくなってから、舌打ちした。　怯えた妹の頭を軽く撫でて、袋の中身を確かめると、小さいクリスマスケーキのパックが出てきた。ふたりで食べ切れそうなサイズだ。パックの表面には、半額のシールが貼られていた。　――明日は、隕石でも降ってくるかもな。あたしらの誕生日ケーキやプレゼントだって、買ったことないくせに。ていうか、いい加減まともに働けよ。　クソ親父の気まぐれに内心呆れながら、妹に笑った。「よし。キリのいいとこまで終わったし、息抜きに食べるか」「うん」　ぎこちない笑みの妹と一緒に食器を用意して、あたしはケーキ用ナイフで半分に切り分けた。苺や白い生クリームの甘い匂いが、妹の緊張感を和らげてくれたようだった。　妹のケーキに自分の苺を加えると、本人は目をまるくした。「お姉ちゃん、いちご食べないの？」「いいんだよ。あんたには、好きなものをがっつり食べて欲しいからさ」「……ありがとう」　遠慮がちに微笑んだ妹とまたテーブルを囲んで、いただきますの代わりにメリークリスマスと言い合った。　苺と生クリーム、スポンジの食感や味が、勉強疲れを癒してくれた。　ケーキを頬張る妹の笑顔も、クリームよりも甘くとろけていた。　自分の誕生日がクリスマスと同じ月にあっても、特別感なんてない。妹が少しでも幸せな気分でいてくれたら、あたしにとってはそれで充分だった。　　　▼　高校に入学した年のクリスマスは、さらに特別になった。　クソ親父の夕飯を用意してから、あたしは妹を連れて出かけた。『一条』という表札のある、立派な一軒家へ。それまでにも、ピアノを聴きに行ったり勉強会をしたりしていたけど。特定の誰かの家に何度も遊びに行く経験も、人生初だった。自宅にいるときとは違って、妹は満面の笑みを浮かべていた。　チャイムを鳴らすと、すぐに家の住人――友達の嬉しそうな声が、スピーカーから聞こえた。「凛、いらっしゃい。いま出ますね」「ああ」　玄関先で出迎えてくれた琥珀の笑顔は、夕暮れの陽射しを浴びてますますあたたかく見えた。「おふたりとも、お待ちしていました。どうぞ、上がってください」「琥珀さん、こんにちは。おじゃましまーすっ」「ふふ、こんにちは。元気でなによりです」　琥珀にもすっかり懐いた妹は、うきうきと靴を脱いで廊下に上がった。　案内されたダイニングキッチンのテーブルには、豪勢なクリスマス料理が並んでいて。ラップがかけられていても、うまそうな匂いが漂って、どれも品質の高さが一目でわかった。　妹の声が、感激に弾んだ。「わぁ、おいしそう！　こんなごちそう、本とかテレビとかでしか見たことないよ」「昨夜のうちに、母と用意しておいたんです。解凍が終わって温めたら、夕食に食べましょうね」「わーい、楽しみっ」「えっ、あんたが料理したのか？」　あたしは、目の前の食べ物よりもそっちに驚いた。　琥珀の眉が、ほんの少し吊り上がった。心外だとでも言いたげに。「主に調理したのは母ですが、私も下ごしらえくらいなら手伝えましたよ」「ふぅん、怪我しなかったならいいけどな。家庭科の調理実習でも、あんたの班はやたら悲鳴が上がってたから」「うっ……あの時も、皆さんにご迷惑をおかけしてしまいましたが。今回は、大きな失敗はしませんでしたよ」「琥珀さん、お料理苦手なの？」「ええ、お恥ずかしながら……」　妹の純粋な疑問に微苦笑して、琥珀は話題を変えた。「夕食の時間までは、なにをしましょうか？　兄はお友達と過ごすそうですし、父と母は外食しますから、私たちだけでのんびり過ごせますよ」「じゃあ、琥珀さんのピアノが聴きたい！」「そうだな、せっかく来たんだし」「ふふ、ありがとうございます。では、ピアノのある部屋へ行きましょう」　黒いアップライトピアノが置かれた部屋にも、カーテン越しに西日が射していて。防音仕様の壁を見て、学校の音楽室みたい、と妹が感想を呟いた。実際、その通りの印象だ。　椅子に腰を下ろして楽器と向き合った琥珀は、ソファに座ったあたしらに振り向いて聞いた。「せっかくのイブですし、クリスマスソングを弾きましょうか。リクエストはありますか？」「あんたの好きな曲を弾けばいい」「うんうん」「そうですか？　では、音楽の授業で習った曲も弾きますから、よかったら一緒に歌ってくださいね」　最初に演奏されたのは、『きよしこの夜』。妹と琥珀の歌声が、曲名通りの清らかな音色に穏やかに重なった。「凛も歌ってください」「いや、あたしはいいって」「えー、お姉ちゃんも歌おうよー」　――そういえば、三番まであるんだったな、この曲。　ふたりが二番を歌い始めて、仕方なく小声で口ずさんだ。歌うことは、好きでも嫌いでも特別上手いわけでもない。楽しそうなデュエットに混ざるのは気が引けた。もっと声を出しましょう、なんて琥珀が笑顔で促してきて、渋々少しだけ声量を上げたけど。　本当に、本人は音楽教師にでもなれそうな雰囲気だった。将来、ピアノやバレエの教室でも開いた日には、妹が通いたがるかもしれない。あたしには、将来の夢なんて全然ないけど。妹にはなにがあっても叶えて欲しいし、そのためならなんだってする。　高校卒業後にすぐ就職したくて、勉強で知識を身に着けることも必要で。学校の空き時間に本を読むのも、自然と習慣になっていた。クソ親父なんかに頼らなくても、自分たちの力で家を出て生きたい。　雑談もしながらの歌と演奏の時間が終わる頃には、窓の外が暗くなっていた。ちょうどタイマーみたいに妹の腹の音が鳴って、三人で笑い合ってダイニングキッチンへ向かった。　あたしが夕飯の用意を手伝おうとすると、琥珀は微笑んで首を横に振った。「凛たちはお客様なんですから、座って待っていてください」「いや、せっかくだし一緒にやったほうが早いだろ」「貴方は、なんでも自力で片づけることに慣れているのかもしれませんが。遠慮せず、もう少し私を頼ってください」　急に真剣になった声音と視線に、あたしは思わず言葉に詰まった。「私たちは、友人なんですから」　それからまた琥珀はふわりと微笑んで、料理の皿を電子レンジに入れて温め始めた。　ダイニングのテレビでアニメを観て笑う妹の声も、場を明るくした。ボロアパートの部屋じゃほとんど見られない、心からの笑顔。　――きっと、一般家庭ってヤツはこういう雰囲気なんだろうな。　琥珀の厚意に結局甘えて、あたしはおとなしく妹の隣の椅子に座った。　母さんが生きていた頃は、贅沢ができなくてもまだ楽しいと思えていたけど。クソ親父のせいで、すべてが狂った。　自分の手を見るたびに、思い出す。母さんが丁寧に塗ってくれた、マニキュアの色を。「お待たせしました」「わぁ、いいにおいっ」　琥珀がテーブルに並べていく料理を見て、妹の顔がさらに輝いた。　三人で改めて食卓を囲んで、琥珀が淹れてくれた紅茶やジュースのグラスを持って乾杯した。「素敵な夜になりますように。メリークリスマス」「メリークリスマス」「メリークリスマス！」　家じゃ水しか飲んでいないせいで、あたしの舌はホットミルクティーの味さえ豪華に感じた。リンゴジュースをごくごくと飲んだ妹も、きっと同じ感覚だっただろう。　ローストビーフにフライドチキン、クリスマスリース風の見た目のサラダ。極めつけは、サンタクロースとトナカイのクッキーが載ったクリスマスショートケーキ。色合いも鮮やかな料理の数々を、姉妹そろってありがたく噛みしめていった。こういうのも家で気楽に作れたら、最高なのに。「ほんとにおいしいー！」「ああ、食べ終わるのがもったいないくらいだ」「ふふ、お口に合ってよかったです。飲み物もおかわりがありますから、言ってくださいね」「やったぁ、えへへ」　肉も野菜も残さず口に運んでいった妹は、不意に淋しげに呟いた。「……すっごく楽しいし、帰りたくないなぁ」　琥珀とあたしは、ハッと妹を見つめた。「琥珀さんも、ほんとの家族だったらいいのに」「貴方にそう思ってもらえて嬉しいです、ありがとうございます」「琥珀には、琥珀の親御さんとお兄さんがいるんだ。あんまり無茶言うなよ」「うん……わかってるけど」　あたしがやんわりとたしなめても、妹の表情は曇ったままだった。「うちには、サンタさんがプレゼントを運んできてくれなくて、それが当たり前だったでしょ。だから、琥珀さんからクリスマスパーティーに誘ってもらえて、ほんとに夢みたいなんだよ」「……そうだな」「帰らなきゃだめ？」「父と母に連絡すれば、今夜はおふたりに泊まってもらうこともできそうですが――」「いや、時間が来たら帰るから。気を遣わせて悪いな」　ピアノ演奏も聴けて、うまい料理もごちそうになって、充分楽しませてもらった。これ以上長くいたら、本当にあの家から――クソ親父のもとから逃げ出したくなっちまいそうだった。　妹の片手を、テーブルの下でぎゅっと握った。「だいじょうぶだ。なにがあっても、あんたはあたしが守るから」「……うん」　あたしの小声の宣言に、妹は小さくうなずいた。　あたしらの顔を心配そうに見比べたけど、琥珀はすぐに話題を変えてくれた。「食べ終わったら、トランプで遊びましょうか。神経衰弱とか」「うん、やるやる！」　妹にも笑顔が戻って、沈んでいた空気が軽くなった。　琥珀のあの言葉が、頭の片隅に浮かんだ。　――遠慮せず、もう少し私を頼ってください。私たちは、友人なんですから。　警察も、学校の教師も、児童相談所の職員も、あたしらを助けてくれないけど。もしかしたら、琥珀なら――。　よぎった淡い希望を、すぐに打ち消した。いくらたまたま気が合って仲良くなったからって、他人には期待しすぎちゃいけない。これは、唐沢家の問題だ。　それでも、まっすぐに向き合って接してくれる琥珀には、感謝も信頼も深まる一方で。いつか、事情も本心も洗いざらい打ち明けられる日が来るかもしれない。　――これからも、三人で笑い合えるなら。　ケーキの最後の一口で滲んだ甘味が、いっそう濃く舌や喉に拡がっていった。　　　▼　ＣＡＧＥに入って、季節がいくらか過ぎたある日。　執務室の机越しに、司令はいつもの胡散臭い笑みをハクチョウとあたしに向けた。「ふたりとも、非番なのに急に呼び出してすまないね」「朝っぱらから、なんの用だよ。食事が済んだタイミングだからよかったけど」「緊急任務でしょうか？」「緊急といえばそうだね。ウグイス、ふたりに資料を」「はい」　司令の脇に控えていた副司令が、書類をあたしらに差し出す。　文面に目を通すと、なにかの企画書みたいだった。　司令の薄い紫色の両目が、愉しげに細められる。「君たちには、ＣＡＧＥの新しい広報ポスターモデルになってもらいたいんだ」　聞き間違いかと思ったけど、副司令も笑顔でうなずく。　ハクチョウと顔を見合わせて、あたしは戸惑いの視線を交わした。「いや、なんであたしらなんだよ。どう考えても、ツバメ辺りに任せたほうがいい役回りだろ」「ツバメにも、以前モデルを担当してもらってね。今回は、君たちを推薦させてもらった」「推薦？」　あたしの疑問に、副司令が補足する。「広告代理店から、今までのポスターとは趣向を変えたいというご提案がありまして。カラスさんとハクチョウさんは、迎撃部隊の要とも言える人材ですから、適任なのではないかと」「勝手に決めるなよ。あたしらにだって、拒否権くらいあるだろ」「カラス、ひとまずお話だけでも聴いてみましょう」「……わかったよ」　相棒に冷静に促されて、あたしはため息を噛み殺した。　司令の視線が、ハクチョウに向けられる。「ハクチョウは、音楽室でのピアノ演奏も楽しんでいるようだね」「はい、とても」「せっかくだから、あそこの楽器を使って撮影に臨むのはどうかな」「なるほど……」「企画書にも記載しましたが、音楽室は日頃利用者がいますので、撮影当日は空いている休憩室のひとつを使う予定です」「ということは、ピアノではなく別の楽器を持つ形になりますね。ヴァイオリンやヴィオラ、フルート辺りが良さそうですが」「ちょっと待て。それ、あたしも持つんだよな？」「ええ。せっかくですし、お揃いの楽器にしたいです」　楽器と聞いて乗り気になったのか、本人はにこやかに希望を言い出す。　頭が痛くなってきた。「あんたはいいけど、あたしには楽器は似合わないって」「そうでしょうか？　貴方が楽器を構えるところ、ぜひ見たいですよ」「なぁ、モデルってハクチョウだけじゃだめなのか？」「先程も言いましたが、迎撃部隊の要であるペアのおふたりだからこそ意味があるんです」　答える副司令の横で、司令もうなずく。その通りだ、とでも言いたげに。　ここまで来ると、拒否権もなさそうだ。　ハクチョウが、さらに畳みかけてくる。「それに、ヴァイオリンならモズさんに構え方を指導していただけそうですし」「げっ、よりによってアイツかよ……」「カラス。これもよい経験になりそうですし、やってみませんか？」　楽器なんて、音楽の授業で軽く触った程度の知識と経験しかない。撮影目的だからって、そう易々と扱っていいもんじゃないことくらいはわかる。　――でも、広報ポスターか……。　企画書を読み直す。ポスターの掲示予定場所には、一部地域の避難所や公共施設も含まれている。　三人分の、特にハクチョウの熱い期待の視線を浴びながら、あたしは諦めて答えた。「わかったよ。この件、請けてやる」「カラス……ありがとうございますっ」「言っておくけど、今回限りだからな。次は別のヤツに頼めよ」「ああ、ありがとう。撮影の詳細は、また追って報せるよ。ふたりとも、いい休日を」　満足気な司令たちに舌打ちしたい衝動をどうにかこらえて、退室する。　居住フロアへ歩きながら、ハクチョウが訊いてきた。「ところで、どうして請ける気になったんですか？」「ポスターが避難所にも飾られるなら、妹が見るかもしれないだろ。それで、あたしらの無事が伝えられる」「あぁ、なるほど。あの子も、きっと喜んでくれますね」「まあ、本人がＣＡＧＥに入りたがったら、なにがなんでも止めるけどな」　ＣＡＧＥが保護している妹からたまに届く手紙も、あたしにとっては大事な生きる希望だ。ポスターの件は、返事には書かないでおこう。驚かせて笑わせてやりたい。　クソ親父が買ったクリスマスケーキを妹と食べた思い出も、いつかハクチョウに話せるだろうか。　ケーキのスポンジ一面に塗られた生クリームの白さが、記憶の底で雪原になって広がっている。　これからは、ハクチョウともそこに足跡を残していければいい。